「秋の夜長にミステリー 1回」 |
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芸術の秋、読書の秋である。 今日はミステリーについて。 私は、高校時代は文科系クラスであったので、暇さえあれば読書に耽っていた。 ドストエフスキーにはまっていたが、まったくジャンルは異なるがミステリーにも没頭していた。 まだ、岩波文庫がセロハンカバーの時代である。 最近、某氏の新訳でドストエフスキーが東大生協でも売れているらしいが、ロシア文学の核心を抉り出すような米川正夫、原久一郎、中村白葉の3大翻訳者や、孤高の神西清の訳に触れた人間からすれば、例の某氏の訳など噴飯物である。 ドストエフスキーといえば5つの長編が有名だが、作家の本質は処女作に宿るといわれる通り、『貧しき人々』は愛の福音書である。 ぜひとも、原久一郎の名訳で読んでみて欲しい。 最近の翻訳とは、リヒテルと、どこにでもいるピアニストの演奏くらいの違いがある。 話はそれてしまったが、そんな時代であったから、ハヤカワ文庫と創元推理文庫のレパートリーは見事という他なく、世界の本格ミステリーの古典が、自国語で気軽に読める世界で唯一の国であった。どう考えても採算が合わない経営姿勢であったやも知れないが、出版業にかかわる人々の気概が、哲学があった。 まだ私は、社会の厳しさも知らない学生であったが、その出版姿勢ににじみ出たプライドには、涙がでるくらい心打たれたものだ。 曲げれる部分と、どのような職業であれ曲げてはならない部分とがあるはずである。 中身のない、ただモノを売りつけるだけの軽薄な商売は必ず落とし穴が待ち構えていることを、肝に銘ずべきである。 良いモノを広めたい、それを使命と心得て貫く姿勢は、かならず時代をつかむものである。まずは、真に価値あると信じるモノを売ることである。 書物であれば、読まずにはいられなくなるように魅力を伝えるのである。 いくらよいモノでも、無理やり読ませるのは、押し付けである。 本論に戻ろう。 ミステリーの最初の出会いは、小学校の頃の怪盗ルパンシリーズと、江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズだった。 1日1冊、どれほど夢中になって読んだことか・・・。 いまだに、あの息をつめて、ページをくった記憶が鮮明に残っている。 今の小学生も熱狂しているのだろうか? プレステばかりじゃ、なんだか寂しいものがある。 それより、もったいない! なんだか、ブログを書いている中に、懐かしい怪人二十面相を読みたくなってきた。 今日は、この辺で切り上げよう。 相変わらず、普段の会話と同じく話が脱線してばかりで、奇特にも拙ブログをお読みくださっている方には申し訳ないばかりである。 こんな調子だから、ブログは進まないのだろう。 |
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